個人投資家でも勝てる道 人の行く裏に道

個人投資家で儲かっている人は1割と言われています。個人で投資に勝つのは不可能ではありません。このサイトで勝つ方法を書いていきます。

負けない株式講座1講 平成相場を振り返り未来につなげる

こんにちは、mymykenshinです。先日、「個人が勝つための株式講座」が100回になりましたので、一度完結することとし、今回から「負けない株式講座」として再構成していきます。

基本的に「個人が勝つための株式講座」を加筆・修正していくつもりです。緩く書きたいところだったのですが、丁度平成相場が終わり、令和相場が始まるので平成相場を振り返り、令和相場の参考にしていこうと思います。

(初回から、大変なネタに取り組むことに(TT))

 

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①平成になったときはバブル相場の最後だった。

30年前、昭和から平成になったとき(1989年)、私は大学1年生でした。株を始めるのは、ずっと後で2000年の春です。

当時は、本当に景気が良かった。先輩の大学4年生を見ていると、就職活動とともに、どんどん太っていく。企業が学生を接待する構図でした。私の出身大学は、日本でも有名な私大でしたので、その様子は正にバブルの絶頂でした。

 

普通国債の加重平均金利は6.16%。現在は0.95%を考えると隔世の感があります。だから銀行の業務は、5%以上の金利の普通預金をひたすらかき集めて、企業に融資する状態でした。銀行マンのお仕事のメインは預金をとってくることでした。

 

土地の値段がすごいことになっていて、場所が世田谷区だとちょっとした土地がすぐに数億円して。そんでもって金利が6%とかするものなので。

3000万円ローンがあると金利だけで180万円でしょ。すごい返済額になってしまうのです。学生のときに素朴な疑問で「返せるの?」って社会人に聞くと変な回答がくるのです。「将来的に給料があがるから返せる」とか。「土地は値上がるから問題ない」とか。

 

日経平均は平成元年の12月に38,915円をつけます。これが最後の夢となりました。

 

1990年3月大蔵省銀行局長土田正顕から通達された「土地関連融資の抑制について」(総量規制)に加えて、日本銀行総裁三重野康による金融引き締めは急激なものとなり、信用収縮が一気に進んだ。信用崩壊のさなかにおいても金融引き締めは続けられ、日本の経済を極度に悪化させた。

 

これがバブルの崩壊の引き金となりました。要は経済が極度のインフレなので、これ以上、金融緩和から引き締めに舵をきったのです。

やっていることは間違っていないのですが、日本の官僚も、おそらく初めての試みで、どうなるか予想もできずにやったところ、とんでもない経済の悪化(バブルの崩壊)を起こしたのです。

 

※今の金融政策は、このころの教訓が参考になり、引き締めに転換するのも静か~にやるようになったのです。

 

その総量規制の影で、バブルの土地ころがしの多くの人が破産しました。値上がり目的で、とんでもない金利でローンを組んで転売しようとしているのに、土地を売ることができなくなり、お金が一気に回らなくなったのです。

それまで土地を持っているが一番偉いと言われていました。どんどん値上がるからです。その土地神話が崩壊した瞬間でありました。

 

②平成は景気悪化の連続でした

そこから2003年に底をつくまで、日本の経済は10年以上も落ち続けました。

私は、大学卒業して1995年頃から、監査法人で会計監査をやっていたのですが、監査咲で本当に毎年業績が落ち込んでいく感じで暗い雰囲気でした。

 

なぜ、そんなに長い間景気が落ち続けたのかというと、当時の会計が時価で損失を計上しなくていい不透明な会計処理だったのです。

含み損も計上していなくていいのですが、含み益も計上しなくていい、取得原価主義だったのです。

 

昔は株式持ち合いがあったので、企業はたくさん株を持っていたのです。そうすることで買収リスクとかから完全に守っていたのです。

その中に銀行も入っていました。

 

膨大な含み益をもっていました。なぜなら、持っている株が昭和の最初のころの価格のまんまなのですから。もちろん土地を持っている企業もいっぱいありました。

でも財務諸表を読んでも、どんだけ含み益があるかわからない。

「あの会社 含み益がすごいらしいよ」って感じで、株価が形成されていく。そういう時代でした。

 

でも株価は右肩下がりなので含み益はどんどん減っていて、1995年ごろに含み益が含み損に変わったのではないかという噂がたちはじめました。

 

そんな状況で、株なんて買えないですよね。いわゆる株でいうところの悪材料出尽くしがないわけです。それが出尽くしたのが、小泉改革で、2003年までかかったのでした。

 

ちなみに取得原価主義などの日本の古い会計制度は2000年会計ビックバンで、ほぼ欧米なみに整備されて、そのころになってやっと企業の実態が財務諸表に反映されるようになったのです。

 

逆に言うと、それまでは、何でもごまかしができました。損失になれば持ち株売って利益を出してごまかすとか。

 

この歴史から学んでほしいことは、株は悪材料が本当に出尽くすまで上がることはないということです。下り坂の途中でリバウンド狙いで買うことが結局損することにつながるのです。

 

③IT相場はひと時の夢

ところが1999年ごろから株式相場が賑やかになってきました。いわゆるIT相場です。

個人もパソコンを電話回線を通じてインターネットにつなげるようになったのが1996年ぐらいだったように記憶しています。

そして、今では当たり前になっているネットで株式注文は1998年とか。そんな感じです。

それまでは証券会社に電話して注文していました。今の株価を電話で聞きながらです。

 

そんな時代なので、インターネットの普及により、商品がネットで注文できるようになる(eコマース)とか。とにかくインターネットで大きく生活が変わる。夢の世界を皆がイメージする時代です。

そしてネット企業というのが株で人気となりました。今までの会社と違い、数年間で規模が数百倍に化けるので株価も、それにともなって化けるわけです。

その代表格がヤフーでした。 

 

そして株の注文自体も変わっていく。一部の人はネット株に夢中になった。

それがIT相場です。

ここで見た事実は株では業績の天井が見えない世界で際限なく上がっていくという事実です。そして人間はバカなので、バブル相場を引き起こすのです。

 

そんなIT相場は日本では、結構早く潰れてしまいます。2000年の春です。当時はソフトバンク、ソニー、NTTドコモ、ヤフー、光通信などが際限なく上がっていった株ですが、光通信の粉飾決算がばれて、株価が急落していきます。

 

これがすごくて、20日連続ストップ安という、不滅の大記録を作ったのです。78,800円→15,800円まで一気に下がりました。87%もの下落です。当時は信用売買で、光通信とソフトバンクを両方買っている人は大勢いました。したがって、もし保証金以上に光通信を買っていた人は完全に破産。そして煽りをくって、ソフトバンクも売られ、全てのIT企業に売りが出て、相場は大崩れしたのでした。

 

そして私はというと、株に興味を持ったのは、IT相場からでした。でも、そのときは

買えませんでした。だってソフトバンク1単位1千万円だよ。それに最初は「信用売買って何?」って感じだったので。

 

それが、ITバブルの崩壊で、なんとか自分でもソフトバンクが買えるレベルになったのです。

私のデビュー戦は9697 カプコンでした。いくらで買ったか記録は残っていません。多分数百万円現物で買ったと思います。たしかPS2が出て、ゲーム株が暴落するところのリバウンドをうまく取れたのだと思います。

数日間で100万円を儲けました。そういう荒い相場だったし。それが相場にのめりこんだきっかけです。

そして、すぐに大きな洗礼を受けます。ソフトバンクを買ったところ、いきなりの3連続ストップ安。その後ストップ高。

結局数十万円損したと記憶しています。

2000年は2万円から年末に1万円以下までさがった時期なので、とても買いで勝てる年ではありませんでした。でも当時は私は空売りなんてしなかったので、数百万円負けて終わるという、めちゃ苦しいデビューでした。

 

でもIT相場は本当にすごかった。当時は、割高というレベルを超えて、すごい買われた。本当に狂ってました。サーバーしかない、いんちきプロバイダを作って、上場させ多額のお金を市場で調達するとか平気でありました。裏で暴力団も動いていました。

(監査という仕事をしていたので裏側は知っていました)。

 

私はいつかITバブルが再来しないかな期待しています。今度はAIバブルですけどね。

 

④小泉改革でオールドエコノミー爆上げ

 実は私は2002年ぐらいに海外に住んでいまして、そのころは株は損したまんま放置していました。

だから情勢をすべて把握していないのですが、小泉改革のもと、銀行の不良債権の洗い出しが行われていました。私の友人は、とある都市銀行で、その不良債権の洗い出しを行っていました。彼は、その都市銀行のエリート中のエリートで、MBAの留学組でもありました。

彼がのちに語ってくれたのは、「こんなにうちの銀行やばいの?」ってことでした。その事実を見た彼は、さっさと銀行をやめて大手コンサル会社に転身してしまうほどでした。

 

どこの都市銀行も似たようなもので、バブル時代の不良債権を10年以上ずっと隠し続けていたわけです。それが小泉改革でパンドラの蓋を開けたところ、とんでもなかったというわけです。

そしてりそな銀行は破綻しました。みずほは生き残りました。2003年のことでした。

今の私なら倒産しないとわかったら爆買いしたんでしょうが、漠然と「日本大丈夫だろうか」って感じでした。

そして銀行が引当金処理をして公的資金を投入したところで株価は底を打ち、銀行株は10倍以上爆上げしました。

銀行株の爆上げとともに、商社とか鉄鋼とか。借金だらけのオールドエコノミーも銀行が正常化することで、ちゃんとした企業活動ができ、こちらも爆上げしました。

 

小泉首相は外資の手先で、彼は売国奴とか。色々悪口を言われていますが、経済の裏側をずっと会計監査で見てきた私としては、含み損を10年以上隠し続けた銀行も大蔵省(現在の財務省)が、本当に日本をダメにした張本人です。

 

もっと早く1993年ぐらいに全部処理していたら。当時世界最強だった日本のメーカーが、ここまでボロボロになることもなく、もっと違う未来があったのではないかと思うくらいなのです。

 

そして日本の株式市場は、1989年のころには外資規制で1割だった外国人投資家が、2000年のころには、すっかり日本を牛耳っていました。

 

外資規制が解かれて、バブルの処理に戸惑っている間に外資に買い占めされて、小泉相場で本当に儲けたのは外資でした。

 

⑤郵政民営化での裏話

郵政民営化で、ゆうちょが、通常の預金と同じとなりました。それまで金利が高く設定され、不公正と言われた世界です。

確かに不公正なのです。国のお財布でやっていたら他の銀行はかないません。

それが民営化で普通と変わらなくなったのですが、その金額は記憶ですが30兆円とか40兆円規模だったと言われています。当時、米国はバブル相場の中で、外資はこの郵貯を株式市場に向かわせようと、たくらんでいました。

ところが、この外資の思惑は、大きく外れてしまい、ゆうちょは、また預金されてしまいまいした。

つまり郵貯は、農耕民族の預金で、株式投資に回ることは万が一にもなかったのです。

それに、日本は、10年以上低迷して株が好きな人のほとんどが引退してしまったのだよ。

そんな外資は失敗とともに日本の株式市場に急速に冷めてきました。リーマンショックより前に日本株は落ちてきました。

 

なぜかというと不良債権の処理はしても、日本のメーカーの技術力はずっと衰退していて、魅力がどんどん薄れていたのです。特に理系の学生の学力は落ち続け、技術は中国と韓国に技術が移転していったのです。2000年のころは、まだ世界中がソニーの製品を欲しがっていたんですよ。信じられないでしょ。今では。

 

⑥リーマンショック

 そしてリーマンショックが起こるわけです。日本は輸出と輸入が3割に落ち込む大事態です。ここでも株価はすごい暴落します。小泉相場では、ほとんど日本人は儲けられない状態で、この下げです。

またしても個人投資家は死んでしまいます。何回死ねばいいんでしょうぐらいな。

世界は日本の不良債権処理の遅れが経済の回復を遅らせることを知っているので、公的資金をどんどん投入して、さっさと上昇波動にもっていきました。

ここで日本は、あの民主党政権の暗黒時代にあり、またしても処理が遅れます。民主党は完全に経済オンチで国会が空転して、世界が金融緩和の中で、日本は、無駄使いがどうたらこうたら。いや無駄使いする局面でしょ。バカバカバカって感じで。

 

お陰で超デフレ(TT)

そして、追い打ちをかけるように東日本大震災。

さすがに東日本大震災では世界は助けてくれた。

⑦アベノミクスと黒田日銀総裁

 

2013年から安倍首相になって、ご存知日銀総裁は黒田総裁になり。

やっとやっとやっと、日銀は金融緩和にかじを切ります。リーマンショックから3年以上世界に遅れて。世界はとっくに景気好循環に入っていて。遅すぎるぐらいです。

1989年からバブルが崩壊して、日銀が金融緩和に走ることは、小泉政権のときに少しあるぐらいかな。

もっとも、あのときは公的資金投入自体が大幅な金融緩和ですが。

 

そう考えると、日銀総裁は24年間も何をしていたんでしょうかね

ありもしないインフレを心配してデフレのどん底まで落ちてしまい、日本は24年間も機能不全に陥って。

その間に日本は世界から忘れさられるほど衰退しました。それでも、正直、今、この姿でいられるのが不思議なぐらいです。

ただ当時とは、似ても似つかない国になりました。

とにかく工場は、ほとんど全部といっていいぐらい世界に出て行ってしまいました。

 

そして日本人の心が、超ディフェンシブになってしまいました。だって24年間いいことないんだから。株なんて誰もやらないですよね。

 

それでもアベノミクスで少しは持ち直している感じですかね。金融政策が議論できる状況にいますからね。

ただ遅きに失したのは事実で、入れたお金ほど効果が出ていないのは事実でしょう。

日銀が放出したお金で、儲かっているのは、日本企業です。全部内部留保にため込んで、出さない。ディフェンシブすぎて給料に出さない。

だから国民に景気の実感がないのです。

 

現在、日銀の国債買入額400兆円 株式も大株主に日銀が購入して、これ以上の金融緩和は無理だろうというところで平成が終わりを告げる。

 

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平成時代の大きな変化 インターネットとスマホ

政治や金融としては、ほとんどいいことのなかった平成時代。ですが環境は大きく変わったと思います。特に株式市場は。

もちろん電話で株式注文なんて論外で、チャートも値動きもリアルタイムで好きなだけ無料で取れる。

決算短信とか有価証券報告書とか、ネットですぐに見れるけど、昔は東証で紙でしかみれなかったんですから。有価証券報告書を書店で買っていたんですよ。

 

税制だって、随分整理されて。昔は損失を繰り越すことができないとか。手数料もバカ高くて。

 

そしてスマホは大きいよ。どこでも見れるし、どこでも注文できる。

そういうように環境は随分変わったな。

昔は一般の個人が勝つのは、情報格差の面でも処理のスピードでも無理だったけど、50億円とかもうける人が何人も出てくることは、この環境の変化と無縁ではないはずです。

時代も超高速回転処理って感じで。ここ10年だもんね。AIが勝手に売買するようになったのも。

機関投資家は7割が機械が発注している。

そういう意味でゲーム感覚的なところは明らかに増していますね。

ちょっと需給とか含み損で劣勢に立たされていると、コンピュータが抹殺しにくる感じです。

令和になったら、個人にもAIの波が押し寄せてくる感じ。

そして、なによりITバブルならぬAIバブルが来るのか来ないのか、そしていつなのか。

 

私の狙いは、そこだけといっても過言ではないです。AIバブルで大きくとって金投資。そこで一生楽をする。

そんな感じです。

 

なにわともあれ、負けない株式講座の最初は温故知新。平成をふりかえり未来につなげる。令和もやはり時代の変化が強くて、その時代の変化についていける人間が生き残れる世界となるでしょう。

 

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